大事なことは、決まったルールは、ルール。
ダメでないなら、相手の反応を気にしなければ、この手はないことはないのだ。
ダンツィヒの戦いは、実に不安感を抱えての戦いとなった。
クエスト受けの面倒さを考えても、あえて旗を変えず。(変えたかったのかも知れないが、話しなく変えるのを黙認するほど、甘くはなかっただけだが)
しかし、集結は、ハンブルク。
係争地点、かつ、敵方の要塞を、見事に集結地点に選んだのは、ある意味、戸惑いはあった。
『バザーどうしよう?』
無論、事前会議で、議事になったため、対策は講じたが、スタート直後に猛攻に晒されることは、わかりきっていた。
実際、3日とも、ハンブルク猛攻、対応に追われる。
その後は、日を増す事にブラッシュアップされていた気がする。
2日目は、ハンブルクと、コッコラをかわるがわる。
3日目は、それを振りながら、リューベック攻めが加わる。
最終の猛攻は、かなり、きわどかった。
が、リューベックだから、守り切れた。
3日目、オスロにいた。
監視は、あまりやってこなかったが、人手不足で、要請あれば、断る理由もなく。
艦隊よりオスロを取った。
というか、エモ文のいじくり方を教えてもらったから、ある意味で、参加した以上の価値があったわけで。
さて、リューベックだから、守り切れたと言う雑感を…。折りたたみで。
で、リューベックが、落ちなかった理由は、3つある。
1・構築艦隊の連動性
2・対人艦隊の対応
3・バザーの配置と、供給能力
1・2は、敢えてくくる。
敵司令を封鎖できなかった訳だが、リューベックを攻め落とすには、イングランドの司令は2つ抑えなければならなかった。
対人艦隊が集まってきてしまえば、2つ抑えることは難しい。
ちなみに、リューベック攻めには、イスパニアは自分の司令1つ抑えられると苦しかったはずだ。
3・バザーだが、3日とも、イングランドの拠点はコペンハーゲンだった。
コペンハーゲンから、リューベックは、近かった。
ゆえに、バザーの供給能力は、高かった。
構築艦隊さえ入れば、容易に回復できたのだ。
ちなみに、正解は?
この海戦でほとんどいじくり回すことがなかった、オスロである。
以前、北海、ユトランドの海戦の時には、あんなに攻め玉に上がったオスロが、何故ふれられなかったのか?
今回の海戦で、オスロのパラメータはほとんど変わっていない。
1日目も、2日目も、3日目でさえも。
3日目は、オスロで監視していたが、ピンポンダッシュ的な砲撃2発。
工作が仮に入っていたなら、パラメータはもっと下がったはずだ。
艦隊再編でオスロに入港した艦隊は、敵味方、ともにいたわけで。
冷静にみれば、バザーが手薄なのは見てわかったはずだ。
まあ、すぐに落とさせるつもりももちろんないが、リューベック攻めレベルの圧力ならば、危うかった。
もちろん鉄材は、持っていたし、鉄板はたたけるが、僕も副官はコペンハーゲンにおいていて、副官を出せなかったのだ。
ピンチの合図を出しても、対応に時間がかかる。
もちろん、洋上から監視役が来てくれて、対応を整えるにしろ、守備に時間がかかるのは目に見えてわかった。
僕としては、もう少し、対処について考えねばと、バザーについて、あれこれ言ってるだけに、考えさせられた。
バザーも、準備だけではなく、機動力なのだと。
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